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執筆者の写真有松天満社 花暦

中町唐子車

更新日:2022年11月10日

 中町唐子車は天保年間(1830~44年)頃に内海の東端村の豪商・5代目前野小平治氏に待望の後継ぎが生まれた事を祝して建造され、明治8年(1875年)に有松中町に譲渡されました。


 中町唐子車は、有松の3輌の山車の中で唯一「知多型山車」と「名古屋型山車」との特徴を併せ持つという大変珍しい山車です。

「知多型山車」と「名古屋型山車」の特徴を併せ持つ中町唐子車

【名古屋型山車】

 二層構造の外輪式で、車輪の周りには人を巻き込まないように「輪掛(わがけ)」と呼ばれる格子状のものが取り付けられています。


【知多型山車】

 二層構造で内輪式のものが多く、全体を素木の彫刻で飾り、屋根は厚みのある唐破風屋根が特徴です。

その他、地域によっては山車の後部に「毛槍」や「見送り幕」等の装飾があります。


中町唐子車の場合・・・

 山車彫刻は素木の彫刻・山車後部には毛槍や見送り幕(知多型山車の特徴)が施されており、車輪部分は外輪式で輪掛(名古屋型山車の特徴)が施されています。

山車の後部の「毛槍」と「見送り幕」
螺鈿細工が施された輪掛

 また、山車建造の際に用いられた材木には、紫檀・黒檀・鉄刀木の唐三木が用いられ、山車装飾には、金糸で刺繍された鯉の水引幕や赤珊瑚の房飾り、螺鈿細工を施した輪掛等、前野家の繁栄や後継ぎの誕生への喜びが込められた山車である事が感じられます。

赤珊瑚の房飾り(一番上)。房飾りを留める彫金金具には「松」「竹」「梅」のデザインが施されています。

 からくり人形は、前人形の麾振り唐子・左右に動く唐子(喜び人形)・文字書き唐子の3体です。

 また、麾振り唐子の作者については、弘化4年(1847年)に名古屋のからくり人形師・二代目隅田仁兵衛真守のものである事が判っています。

中町唐子車のからくり人形たち


+++++*+++++中町唐子車の故郷・東端区祭礼について+++++*+++++


 中町唐子車はかつて知多半島にある内海の東端村で建造され、東端村の祭礼車として曳かれていました。

 東端村は明治8年(1875年)に有松中町に山車を売却後、明治27年頃に隣りの北脇村から山車を購入し、現在に至ります。


 現在、東端では毎年4月第1日曜日に東端区祭礼がとり行われています。

東端の氏神である高宮神社から熊野社へ神輿の渡御がとり行われ、神輿の警固として山車が曳き出されています。

 夕刻には、熊野社から高宮神社へ向かい、高宮神社の鳥居前の広場にて神輿・山車・神楽屋台による激しい練りの後、神輿は高宮神社へと還って行きます。

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