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執筆者の写真有松天満社 花暦

令和6年度「初天神祭」、斎行

 1月25日(木)の午前中、天満社社殿にて「初天神祭」を斎行いたしました。

 「25日」は御祭神・菅原道真公にとって大変ご縁深き日でございます。  全国の菅原道真公をお祀りする神社さんにおかれましても、1月25日はその年最初の「天神様の日」として、天神様のお祭りを行っておられます。

 当社も、社殿にて神事を斎行し、皆々様のご健康とご多幸をご祈願申し上げました。



 菅原道真公は有松の産土神(うぶすなかみ)としてはもちろん、「学問の神様」として広く人々に親しまれております。


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 菅原道真公といえば百人一首での


「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 」


 晩年に詠まれた

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」


 これら2首の和歌が大変有名ですが、ご幼少の頃より和歌や漢詩を嗜んでおられ、その生涯に渡っていくつもの和歌や漢詩を残しておられます。

 また、ご幼少の頃より、梅の花を愛でておられ、御所には多くの梅の木が植えられ、お住まいは「白梅御殿」、別邸は「紅梅御殿」と呼ばれていたそうです。


梅の花 紅の花にも 似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある

(5歳の頃に詠まれた歌で、阿古は道真公のご幼名)


月耀如晴雪(月の輝くは 晴れたる雪の如し)

梅花似照星(梅花は照れる 星に似たり)

可憐金鏡転(憐れむべし 金鏡転じて)

庭上玉房馨(庭上に玉房の馨れるを)

(11歳の頃に詠まれた漢詩『月夜見梅花(げつやにばいかをみる)』)


 ご幼少の頃より学問の才能を開花され、「神童」と呼ばれた道真公は、その後も更に勉学に励み、33歳の頃に学者の最高位である「文章博士(もんじょうはくし)」となり、朝廷の要職へと栄進なさいました。


 また、道真公は学問だけではなく、武芸にも大変優れており、弓矢の腕前は百発百中を披露する程。


 これらの逸話より、道真公は「学問の神様」「芸事の神様」として信仰されるようになり、道真公をお祀りするお社には「梅鉢紋」が起用され、時を経て、地域を越えて今も尚、人々に親しまれております。


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---過去の写真より---

 さて、暦では大寒を越え、いよいよ季節は春を迎えます。  この春よりご進学・ご就職等、新たな門出をお迎えになる方々もいらっしゃる事と思います。


 春は花が芽吹く季節です。


 道真公が愛する梅の花は、京都・同志社大学の創設者として知られる新島襄による漢詩「寒梅」にて「百花に先駆けて咲く梅の花」と詠われているように、「厳しい冬の寒さを耐え抜いた早春に、どの花よりもいち早く華やかな香りを放ち、春の訪れを知らせる花」として古くから人々に愛されています。


 一説によると道真公がお生まれになる前の時代・・・万葉集が詠われた時代から、「萩」の次に詠われた花とも云われており、私たち日本人にとって非常に身近な存在であった事がわかります。


 厳しい冬の寒さを耐え抜いて凛と咲くその姿から、「高潔」「豊かさ」「優美」の象徴、年月を重ねても尚美しく香りを放ち続けるその姿から「長寿」の象徴として愛され続けてきた梅の花---


 どうぞ、どなた様も健やかに春をお迎え下さいませ。

 また、有松へお越しの際は、有松天満社へお立ち寄りいただき、ご神徳をお授かりくださいませ。

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