有松は、慶長13年(1608年)に尾張藩の御触書によって東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿との間に誕生しました。
触書
知多郡之内 桶狭間村 新町之儀 諸役令ヲ
免許候間 望之者有之於ハ 彼地ヘ可被越者也
仍如件
慶長十三年戌申二月十八日
当時の有松の辺りは松林の生い茂る場所で人家もなかった為、尾張藩は諸役免除や免租地といった特典を提示して、有松への移住を奨励しました。
この奨励に応じ、知多郡阿久比庄から竹田庄九郎(有松絞りの開祖)をはじめ8名の人々が移住し、有松の礎を築きました。
しかし、当時の有松には耕作可能な土地が極めて少なく、農業で生計を立てるのは非常に困難な土地でした。
竹田庄九郎ら8名の移住から2年後の慶長15年(1610年)、転機は訪れます。
名古屋城築城の際、竹田庄九郎は九州豊後の職人が着ていた絞り染めの装束からヒントを得て、有松絞り(当時は"九九利染"と称し、現在の有松・鳴海絞り)を考案したと云われています。
数々の創意工夫を経て、有松絞りはお伊勢参り等で東海道を往来する人々のお土産品として知られるようになりました。
※当初は手ぬぐい等を絞りにして軒下に吊るしていたそうです。
寛永18年(1641年)、尾張藩2代目藩主・徳川光友公が尾張入国の際、村の人々が有松絞りの手綱を献上したところ、評判となりました。
以降、藩主が入国の際は、絞り染めの手綱を献上するのが習わしとなりました。
また、延宝8年(1680年)には徳川綱吉公の5代将軍就任の際に、尾張藩主・徳川光友公は有松絞りの絹の手綱を献上しました。
以来、将軍の就任に際し、有松絞りの手綱を尾張徳川家が献上したと云われています。
有松絞りは時代と共に手ぬぐい等のお土産品から将軍家へ献上する手綱へ、そして、ゆかた等の衣料へとその技法や製品も進化を遂げていきました。
有松や有松絞りの礎を築いた偉人たちの功績により、有松は絞りの一大産地として知られるようになり、繁栄していきました。
その光景は「東海道五十三次」や「東海道中膝栗毛」でも色鮮やかに描写されています。
その後、幾度の天災や戦災による危機を乗り越えて、有松開村の歴史を語る絞り商の町並みや有松・鳴海絞りの技法や製品等が先人たちにより大切に継承され、現在に至ります。
有松は平成28年7月には「重要伝統的建造物群保存地区」へ、令和元年5月には「日本遺産」に認定されました。
+++有松の礎を築いてきた偉人たちの足跡や町並みについては下記HPにて+++
▶有松まちづくりの会「有松のまち」・・・有松・桶狭間お宝カルテ「絞のみち」
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