その昔、有松天満社は現在の祗園寺に鎮座していました。
天満社がかつて鎮座していた祗園寺の歴史は江戸時代中期にまでさかのぼります。
宝暦5年(1755年)、鳴海にあった猿堂寺を有松に移して「祗園寺」に改号した事から、 有松の祗園寺の歴史が始まりました。
天満社がいつから祗園寺の境内にあったのかは定かではありませんが、天満社は祗園寺の鎮守として存在していました。
寛政年間(1789年)、祗園寺4世文章卍瑞により、祗園寺の後方にある山(天満社の現在の鎮座地)に数千人から捧げられた詩歌文章等を埋納し、天満社を遷座しました。
この事から、有松天満社の鎮座する山は「文章嶺(ぶんしょうれい)」または「フミノミネ」と称されるようになりました。
文政7年(1824年)、荘厳な八ツ棟造りの社殿が建造され、現在に至ります。
天満社に関する文献が残っていない為、現段階では天満社が遷座されたのは「寛政年間」としか判っておりませんが、境内中広場から社殿へと続く階段の頂上両脇にある常夜燈には「享和元年(1801年)」との銘が刻まれている事から、1789年~1800年頃には祗園寺より天満社が遷座されたのではないかと云われています。
さて、天満社が鎮座する一帯には、今も尚、江戸時代の遺構たちが「天満社の歴史のかたりべ」として境内に静かに佇んでいます。
・虹橋こみち(天満社境内下広場)
・珍重坂(現在は天満社境内下広場から中広場へと続く階段)
・イロハの滝(手水舎の奥)
これら遺構は、当時と姿形を変えつつも、有松の町の歴史や祭礼の歴史を知る大切なかたりべたちです。
「虹橋こみち」について
天満社境内の下広場正面にある「虹橋こみち」は、かつて藍染川(手越川)に架かっていた「虹橋」と呼ばれる石橋でした。
旧虹橋の佇まいが大変趣のある造りだった為、旧虹橋の美しさを活かしつつ、境内の参拝通路の「虹橋こみち」として生まれ変わり、現在に至ります。
「虹橋こみち」の近辺は、春には梅の花が可愛らしく咲き、初夏にはアジサイが咲くので、ここ数年では天満社のフォトスポットになりつつあります。
ここで、かつての虹橋をより感じていただけるビューポイントを紹介したいと思います。
手水舎から「虹橋こみち」へ続く階段をゆっくり下りると、橋の欄干に「虹橋」の文字を確認する事が出来ます。
かつて町と天満社とを繋いで来た旧虹橋は、現在は「天満社の昔」と「天満社の今」とを繋ぐ「時空の架け橋」になっている事を実感していただけると思います。
珍重坂について
現在のように石階段として整備する前は、山道に近い段差のある坂だったそうです。
かつての有松の祭礼では、現在の山車まつりの形態ではなく、背の高い梵天の笠鉾を先頭に、太鼓を乗せた音頭台等が賑やかに練る行列がこの坂を登って参詣していたと云われています。
山車まつりの歴史が始まったのは明治時代に入ってからと云われており、その際には笠鉾やオマント(馬之塔)が出されており、馬もまた、この坂を登って天満社の中広場で引かれていました(オマントの奉納は昭和34年頃まで行われていました)。
珍重坂は、町の有志による寄進で階段整備が行われて姿を変えましたが、杜の風を感じながら詣でるという有松の参拝スタイルは今も昔も祭礼の光景として継承されています。
「イロハの滝」について
手水舎の奥にある滝は「イロハの滝」と呼ばれており、有松の祭礼でオマント奉納が行われていた時代には、馬を洗い清める際に寄った滝でもありました。
馬を洗い清める事を「コオリトリ」と言い、「イロハの滝」で洗い清めた後、中広場まで登り、奉納されたと云われています。
「イロハの滝」は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて小田切春江によって描かれた尾張国の地誌「尾張名所圖會」でも、祇園寺から文章嶺の景観について以下のように紹介されています。
文章嶺
祗園寺の後の山をいふ。天満宮を安置す。神廟もと祗園寺境内にありしが、寛政の初、寺僧卍瑞の開基にして、數千人より捧げし詩歌文章等を此山頂に埋め置き、文政七年その上に今の神廟を基立し、新たに八棟造の高廟を構へ、以前に百倍の荘嚴とはなりぬ。こは當所有信人の輩、莫大の資財を寄附せしとぞ。夫よりして文章嶺(ふみのみね)と称す。山の中腹に瀧あり。いろはの瀧といふ。是御手洗なり。又瑞垣の内に、冷泉為泰御自筆の御詠を其まゝ石に彫りて建つ。
小田切春江「尾張名所圖會」より抜粋。
この事から、有松天満社や境内の数々の遺構のひとつ「イロハの滝」は今も昔も変わらぬ佇まいで、有松の人々や、有松に訪れる人々を見守っている事が判ります。
※有松天満社文嶺講(ありまつてんまんしゃ ぶんれいこう)について※
有松天満社をお守りする氏子たちの組織名である「有松天満社文嶺講」は、天満社のあゆみから由来しております。
現在も有松天満社三大祭礼(元旦祭・春季大祭・秋季大祭)を執り行う他、献燈神事(提灯まつり)を執り行い、祭礼文化を大切に受け継いでおります。
Comments