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執筆者の写真有松天満社 花暦

江戸時代の面影を残す有松天満社

更新日:2021年7月23日

有松天満社は、かつては東海道の西にある祗園寺境内に鎮座していました。


江戸時代中期に、祗園寺4世文章卍瑞により、祗園寺の後方にある山の頂に数千人から捧げられた詩歌文章を埋納し、その場所に遷座した事から天満社として確立されました。


江戸時代後期の天満社一帯を描いた絵図が「尾張名所図会」にて知る事が出来ます。

その当時から残る遺構として社殿前の常夜灯・イロハの滝・虹橋は、現在も境内で見る事が出来、当時の姿を色濃く残しています。


小田切春江『尾張名所図会』「文章嶺」より。

<社殿前の常夜燈>

社殿前両脇に建立する一対の常夜燈には、享和元年(1801年)の銘が刻まれており、天満社が遷座して間もない頃の常夜燈である事が判ります。




<イロハの滝>

石階段中腹にある手水舎の奥には、「イロハの滝」があります。

かつては清水が流れており、秋の祭礼時にはオマント(馬之塔・献馬)で奉納する馬が洗い清められていました(オマントは昭和34年頃まで行われていました)。




<虹橋(尾張名所図会では虹硯橋として紹介)>

天満社下広場にある「虹橋こみち」の石橋は、かつては手越川(通称:藍染川)に架かっており、「虹橋」と呼ばれた石橋でした。

大変趣のある石橋であった為、有志によって天満社境内に移設され、現在の姿になりました。


有松へお越しの際は、有松天満社へお詣りいただきますとともに、江戸時代から残るその景観をお楽しみ下さいませ。




≫有松さんぽコラム「有松天満社の瓦のお話

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