西町神功皇后車は、明治6年(1873年)に名古屋の御車大工であった酒井屋久七によって唯一有松で建造された山車です。
有松の絞り商たちによる寄進によって建造された西町神功皇后車には、懸魚・高欄・猩々緋幕を留める彫金金具等に有松天満社の梅鉢紋が施されています。
からくり人形は神功皇后・武内宿禰・前人形の神官の3体で、名古屋のからくり人形師・土井新七によるものと伝えられています。
前人形の神官は御幣を左右に振り、目と口を開けたり閉じたりし、舌を出すユニークなからくりです。
神功皇后が乗る以前のからくり人形は、関羽人形と2体の唐子人形が乗っており、明治27年・28年(1894・1895年)の日清戦争大勝を祝して現在のからくり人形に乗せ替えられました(関羽人形の頭部の一部と唐子人形の骨組みは有松山車会館にて展示中です)。
水引幕は、有松に3輌ある山車のうちで唯一枚続きの水引幕となっており、白羅紗に「牡丹」「杜若」「水仙」「芙蓉」等の花が刺繍されています。
水引幕の後面部分には黒字の刺繍で「小華筆」とあり、これらの刺繍の下絵は渡辺小華ものである事が判ります。
また、西町神功皇后車は、秋季大祭(山車まつり)で朝の各町山車の曳き始めを行う際、山車行列の先頭を曳行して露払いの役目を担っています。
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